「お父ちゃん!!」
「お父ちゃん!」
「・・・お父ちゃん・・」
これは、僕がかすかに覚えているお父ちゃんを最後に呼んでいる時の記憶です。
お父ちゃんは、僕が幼い頃に病気でなくなりました。
僕の隣では、たしかお母ちゃんとお姉ちゃんが涙をボロボロ出しながら泣き崩れていたような気がします。
そこから、お母ちゃんは家族のために必死で毎日夜遅くまで働いてくれました。
歳が離れているお姉ちゃんも学校の部活動で帰ってくるのが遅かったです。
そのため、いつも僕は家で独りぼっちで過ごすことが増えました。
幼い頃の僕は、そんなお母ちゃんの苦労は想像できず、とても寂しかったです。

とくに日が早く落ちる寒い冬の夕暮れは嫌でした。
「カチ・・カチ・・カチ・・カチ・・」
独り部屋でポツンといると、やたら時計の秒針の音が大きいことに気付きます。
そして、正確に刻まれる「時間の音」は無機質で温度が感じられず嫌でした。
ずっとこのまま続きそうな気がして。
なので、僕は家に帰ったらテレビをつけていました。

べつに興味がない番組でもいいんです。
誰かがいてくれて、そばでガヤガヤと話していてくれれば。
その雑音が寂しさを紛らわしてくれました。
この時のテレビは僕にとって賑やかなクラスメートでした。
でも、毎日、毎日テレビと二人でいると、僕は次第に変わっていったのです。
ふと気づいたら画面から流れるドラマに目がいっているのです。
幼い頃の僕は、最初はなんとなく見ていました。
でも毎日、毎日見ていると、次第に
「あ、これはこういうことか」
「え・・・そんな展開!?・・・すごい」
と新しい発見がありました。
そして、少しずつドラマのストーリー性の素晴らしさに魅了されていきました。
気が付けば、毎回ワクワクし、その世界観にのめり込んでいきました。
この時は、僕にとってテレビは親友になっていたのです。
親友が寂しかった僕を救ってくれたのです。

それから数年がたちました。
お母ちゃんの当時の大変な苦労は本当に感謝でしかありません。
そこで、僕は今までの感謝を込めて、お母ちゃんを映画に誘いました。
その映画は『ツナグ』という映画でした。
生きている者が、もう一度だけ会いたいと強く願う、すでに亡くなった者にたった一度だけ再会しメッセージを伝えることができるというストーリーでした。
生前に一言、「ありがとう」とか「ごめんなさい」と言いたかった人たちがその伝えられなかった言葉を死者に伝え、未来に踏み出していく。そんな話です。
お母ちゃんはだまってその映画を観ていました。
正直、僕はお母ちゃんはお父ちゃんを映画に重ね、お父ちゃんが逝ってしまったあの日のようにずっと涙をボロボロ出しながら泣くと思っていました。
でも、お母ちゃんは一粒も涙を最後まで流しませんでした。
映画が終わって、僕はどうしても腑に落ちず、お母ちゃんに聞いてみました。
「お父ちゃんと話したいとやっぱり思った?」
するとお母ちゃんは、
「それは私が死んでから向こうでいっぱい話すよ」
「でも今は、話さない。あんたやお姉ちゃんといっぱい話す」
「生きている間にね。それが父ちゃんも望んでいると思うよ」
「・・でも、今日の映画良かったねぇ。本当にいい映画だったぁ」
と嬉しそうに言いました。
そして
「ユイト、本当にいい映画を紹介してくれてありがとう」

夕暮れの中、二人ならんで帰る時に見上げた空はとても温かい色で、なんだか父ちゃんが僕たちを見ているような気がしました。
この時、僕の方が涙が出そうになるくらい嬉しかったです。
僕は、
読者様と素晴らしいドラマや映画を『ツナグ』役になりたいです。
今後とも宜しくお願いします。